もう一回考えてみる

前回のエントリで「知る」ことについてぼんやりと考えてみたわけだけれど、今日ふと、また思ったのは、何らかの存在が予め創造した情報を新規に摂取・所有する段階を経ないと、そもそも見極めることができない、という現象の確認。「知る」は、土俵を作る作業を担当しているだけで、土俵の上で行われる実践(戦)的な取組みの作業までは担当していないということ。
例えば、トランプのポーカーをするとき。特定の絵柄や数字が揃えば他人より有利に立てるという情報がなければポーカーは成立しない。「ある特定の札が揃うことで優劣が決まる」こととか、それから「絵柄や数字の揃い方と優劣の順序 Ex.ツーペアはワンペアより優位」といった情報がポーカーの創始者やポーカーの改良者によって予め創造されていて、それがプレイヤーに所有されていなければ(「知ら」なければ)成立しない。
とすれば、仮に予め創造された情報を所有する段階を「知る」と定義すると措定した場合、やはりその次に来る情報の精査や編集の段階、前回の言葉を使えば「見極め」の段階をも「知る」という言葉で表現している記述や言説に出くわすことに違和感を覚えてしまうことになる。逆の場合に措定を置き換えても同じだ。段階が違うのに同じ言葉で表現できるはずがない。
かといって「見極め」という言葉もシックリこない。「分かる」かな?うーん、何か違うな。「考える」?「分析する」?一歩近付いた定義のようで、まだ道遠しという印象が拭えない。「疑う」?

認識的な話を検討しているようで、規範の問題やルールの問題に収斂する話なのかもしれない。もしかしたら、この世の中には、何らかが予め作り出した情報としてのルールを「知って」要領よく使いこなして更にルールを研磨し(壊さないで)価値を放つ仕事(有と有)か、予め創造された情報ルールを「知った」うえで”でも、それって本当かな”と「疑う」ことでルールを(壊して)新規創造し、価値を放つ仕事(有と無)しかないのではないか、等と思ったりもしたけど、これはデフォルメしてるかもしれない。まだ分からない。ん?まだ知らないというべきなのか。

つれづれ

クリスマスの喧騒を包み込む電飾が眩い。小さな本屋に身を寄せる。店先に今月号の「東京人」が平積みされていた。
http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html
「おっ」と思って、表紙に意識を集中させる。本を立ち読みしている男性の、後ろ姿の写真。
表紙にはまた、「神田神保町の歩き方」なる文字が躍っていた。気が付けば、貪るように読んでいた。

2008年版と銘打ってはいるけれど、内容的には既視感があった。でも、そんなことは問題ではなかった。
僕は雑誌についてアレコレ言うために読んだのではなく、神田という街を知りたくて読んだに過ぎないから。
しかし一体、「知る」とは何なのだろう?どういう状態を言うのだろう?

例えば僕は、「あんな古本屋が神田にはあるよ」「こんな分野に強い古本屋はあそこですよ」といったように、神田に初めて来た友人の質問に答えてみたり、「神田で美味いカレーが食べられる店に行きましょう」「神田で落ち着いてコーヒーが飲める場所に行きましょう」等と、また別のある人を食事や休憩に誘ってみたりもできる。そして、こういう事情をとらえて、神田に初めて来た知人たちは、「あなたは神田を知っている」と評するかもしれない。
確かに「知っている」んだよなあ、と思う。古書店の強みだったり、グルメ情報だったり。知っているんです。今月号の「東京人」だって、そんな楽しい情報で溢れている。
でも、それとは別の次元で「知る」という概念は生きているんじゃないか、そう思うときがあるのも事実。

「東京人」の立読みからこんな話にまで持っていく背景には、神田の事情や出版社の動きに通じた、とある人とお話させて頂く機会があったとき(詳しく書けずゴメンなさい)自分の「知っている」神田は、何とも上っ面だなあ、この人と自分の「知っている」神田は違うなあ、じゃあ「知っている」とは何なのだろうか、と痛感させられた体験がある。
つまり、「こんな〜がある」というレベルの「知る」は、何らかの原因によって予め作り出された情報を自分で所有した程度の水準に過ぎないのであって、いわば孫悟空がお釈迦さまの掌の上でアイアイ叫んで調子に乗っているような状況に似ているなあ、と感じたのだった。
この、予め作り出された情報を探してきて所有する意味での「知る」は、本当に簡単なもので、持とうと思えば誰でも持てると思う。
要は探し出すのが面倒かどうかだけの問題で、探し出すのが容易で誰でも所有しているもの(所有しなければ生きるのが困難なもの)を「常識」と読んでいるだけなのではないか。例えば「1足す1は2」というのは、この類の「知る」ではないか?
一方で、所有の難しい情報(誰かが作り出していることは間違いないが到達が難しかったり、所有が偶然性に左右されている情報)については、所有することが上に書いた「常識」情報より骨折りなので、畢竟、所有されるべき人数も限定され、ある時は「薀蓄」とか「マニア」とか「サブカル」といった名前で定義されたりする。
でも、こういう情報の持ち方って、「知って」いるといえるんでしょうか?

なんだか僕は、「知る」こと自体に違和感を覚えてしまった。お釈迦様の掌の皺に落ち込んで、ようやく「アレッ?オレって、もしかして誰かの掌の上に乗ってる?」と感じさせられるような居心地の悪さを覚えた。
じゃあ、あなたの考える「知る」とは何ですか、という話になるのだが、今のところ僕は、どうして、そうした情報が創造されなければならなかったのか(そして実際に創造されたのか)を見極めること(敢えて「知る」という言葉は使わない)が「知る」ことなんじゃないかなあ、という仮説を立てている。
何というか、ふよふよ漂って名前のついていないものに定義を与えることが「知る」ことなんじゃないか、という問題意識を抱くようになった。
誰か、若しくは、何らかが既に名前をつけたものを所有することはデータ容量の蓄積を増やすことには繋がっても、「知る」ことには繋がっていないんじゃないかという思いにとらわれてしまっている。
あるいは、こう言えるかもしれない。「知る」ことについて、実は何も知られていない。

実際に「知る」ではないのに「知る」と考えられている(かもしれない)一つの情報が生まれてきた背景を見極めたうえで、その情報に名前をつけること。
更には、この作業を通じて「知る」とは何かが理解できるかもしれないこと。
或いは、僕自身の仮説が大いなる誤解に基づいていて、再出発を余儀なくされるものであるかもしれないこと。

久しぶりの投稿のはずが、つらつら考えながら文章を書いていたら、すごい長文になってしまった・・・

皆様、良いクリスマスをお過ごし下さい。

早いなあ、もう今年も終わってしまいますねえ・・・
自分の頭で考えながら過ごしていかないといけない、腐らないようにしないとアカン、等と思う日々が続きますが、一方で、お世話になっている人に恥ずかしくないような生き方をしていかねばならんなあ、とも思いつつ暮らしています。

【番組について】

MBShttp://www.mbs.jp/)制作によるTV番組『情熱大陸』(http://www.mbs.jp/jounetsu/)にて、内澤旬子さん(http://d.hatena.ne.jp/halohalo7676/)を取材した企画が放送されるという情報を得て、先程(まさに先程!)拝見しました。

番組の冒頭付近のインタで、「記録に残らないものを残す」、という趣旨の発言があり、印象的でした。上記のような言葉は、僕も毎日、大切にしていたいなあ、と心がけている、初心ともいうべきテーマでもあるので、聞いていてハッとさせられ、また、元気付けられる思いがしました。
個人的な感想で申し訳ないのですが、番組全体を通じてのメッセージも、(屠畜の事例も含めて)「記録に残らないものに目を向ける」ことの意義にあったように思います。また、番組それ自体の取材意図や企画・シーンの構成順序、取材手法なども、短い放送時間の中ながらフェアな方向性でシッカリとしていてスゴイなあ、と驚かされました。しかし、それ以上に、取材だからといって必要以上に飾らない内澤さんのニュートラルなスタイルが魅力的で、番組の価値をグーンと高めていたと思います。とても良い番組だったと思い、いま、記録に残しておこうとBLOGを書いています。素晴らしい時間を有難うございました。内澤さんはじめ、番組に関係された皆さま、本当にお疲れ様でした。

一箱古本市について】

また、番組の中で「一箱古本市」のシーンが所々に使われていました。懐かしいです。店主として参加させて頂いた、2005年の第1回目の「一箱古本市」の記憶を呼び戻しながら、大変興味深く拝見しました。*12回目以降からは、個人的な時間上の都合・地理上の都合がつかず、毎回泣く泣く参加を見送る日々が続いていますが、チャンスがあれば、是非ともまた参加してみたいなあ、と思っています。手作り感のある、あったかい雰囲気が印象的でした。イベントに関わっているスタッフの皆さまは大変かとは思いますが、ぜひぜひ、長く続けていって欲しいなあ、と考えています。またご縁があれば宜しくお願いします。更に、このイベントにまつわるシーンの中で、内澤さんが柴犬好きと判明しました。僕も大好きなのです!雑誌「シーバ」(http://www.tg-net.co.jp/nyujo/right-logo/frame/shi-ba.html)も読んでます。思いがけない発見です。

【屠畜について】

小学校時代の通学路、その途中に屠畜を行う工場(?)が建っていました。お昼ごろに帰ったりしていると、工場の中に、豚や牛を積んだ青い中型トラックが入っていくのが見えたり、動物の声が聞こえたりしていたことを覚えています。田舎の屠畜場なので、小規模のものでしたが、僕たち小学生には何か異様な存在というか、怖い場所・・・一種のタブーの世界のような意識がありました。小学校低学年の頃には、その工場を嫌がるクラスメートもおり、その事実が僕の恐怖感を一層強めていたように思います。でも、小学校中学年くらいから(漠然と食物連鎖の持つ仕組みや意味がイメージできるようになりはじめてから)僕たちが持っている恐怖感や嫌悪感というのは、ともすれば非常に恣意的なものなのではないか、と違和感を持つようになっていきました。学校の給食では動物の肉を美味しいと頬張りながら、その頬張る肉と、かつては生命を同じくしていた動物を屠畜する仕事を嫌がるという意識は、ちょっとズレているのではないか?というような・・・。「見たくない」という人間の防衛的なエゴが、命のあるべき循環を途絶させてしまっている印象を受けてしまったのです。
番組の中で、内澤さんが、別のイラストルポライターの描いたイラストを挙げながら、そのライターのイラストでは屠畜が悪意を前提とした筆致で描かれていてショックだったことをお話されているシーンがあり、そのシーンを見た時、子供時代の屠畜に関する記憶や違和感がドバーッと一気に甦ってきました。内澤さんは、また別のシーンで「エモーショナルなイラストは描きたくない」という趣旨の発言をされていましたが、その発言もこのエピソードに関わっているのかなあ、と感じました。加えて、確かに内澤さんのイラストからは、番組における内澤さんの取材スタイルと似た、ニュートラルな感受性が伝わってきて、素直にイラストや文章と向き合ってコミュニケーションすることができるなあ、と、番組を見ながら改めて考えていました。
ともすれば、人は、必ずしもキレイとは言えない事柄とか、見たくない事柄から目を背けようとしがちだけど、実は、そのキレイだといえないこととか、見たくないことというのは、大体、人から聞いたり本で読んだり映画やTVで見たりしたもので、自分でしっかり見た経験が無いことが多いのか、と思いました。自分でしっかり見たこともないのに、モノを語ることはできないのではないか、と。内澤さんが取材で訪れたキューバでは、屠畜の現場を幼い子どもも、ジッと見ていました。確かに、怖そうな眼差しでした。けれど、屠畜を工場の外から眺めて実際を知らないままで、自分勝手に屠畜にネガティブな感情を抱いている、小学生の頃の僕のようなタイプの人間たちよりは、ずっとフェアだったと思います。見ないままで語ろうとすると、どうしても「記録に残っていること」しか語れなくなってしまいます。「記録に残らないものを残す」努力をしようと思えば、タブーから目を背けて気楽に生きている人が通らないシンドイ道を通ることも多くなってくるだろうと思います。そのシンドイ日々を、仕事を通じて見据えている内澤さんの日常を想像しながら、番組を見終わりました。

【おわりに お礼の言葉】

「記録に残らないものを残す」という初心。
見えるものばかりに怒り、わかっていながら目を背けているシタタカな人々に落胆し、24時間の濃度を薄くしつつ生きていた最近の自分に、初心を強く思い出させてくれた、貴重な番組でした。感謝です。ありがとうございました。

*1:当方の「一箱古本市」参加記録については、http://d.hatena.ne.jp/oldbookstore/20060430 等を参照ください

現代みたいな走り方だから

村上龍対談集『存在の耐えがたきサルサ』(文春文庫、2001年)より引用します(http://www.bunshun.co.jp/book_db/7/19/00/9784167190040.shtml
今みたいな社会趨勢の中で読み直すことで更にグッとくる部分があったので(本当は、グッときちゃいけないハズなんだけど)自分への備忘録的な意図も兼ねて引用したいと思います。ちなみに、この対談集は少し古い出版だけど、内容は古ぼけてなくて凄く刺激的です。折に触れて何度も読んで、思考する元気をもらっています。未読の方は是非どうぞ。

村上
「ただ、今の日本をもう一回古き良き日本に戻そうという試みは、たぶん有効じゃない。今の若い人の一部は、輸入される情報の渦の中にいて、日本的共同体が保証する社会的個がダサイということを見抜いています・・・中略・・・けれども日本の大人たちはいまだに日本の家庭、日本の社会、日本の学校、日本の企業という共同体の中に社会的個を規定しようとする。その間のギャップというのは、誰も気づいてないけれど、ものすごく大きい。だから、モチベーションはズタズタになってしまう・・・後略・・・」(前掲引用 pp.226

もう、こんな引用を繰り返さないで済みますように。

ひとりっこ

ご無沙汰しております。何とか生きてます・・・
◆ ◆ ◆
詳しい経緯は覚えていないが、最近、ふとした折から兄弟云々の話になったことがある。「自分は『ひとりっこ』だ」と僕が話すと「意外だな。妹がいそうなのに」と言われた。僕としては寧ろ、周囲のその驚きの方が「意外」なことなのだ。
いつからか「妹がいるでしょう?」と言われることが多くなった。大学に入学して以降くらいからだろうか。何故そう言われるようになったのか、よく分からない。何しろ、小さな頃は「ひとりっこでしょう?」と言われることが多かったのだ。そしてそれは見事に正解で、僕の自意識をよく疼かせた。

上に書いたような会話がきっかけになったというわけでもないのだが、インターネットで「ひとりっこ」について色々と検索をかけてみた。wikipediaで「ひとりっこ」という項目を検索してみると、次のような結果が出た。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%A3%E5%AD%90
この項目の中に『一人っ子が要素の小説として以下のものがある』(上掲wiki引用)として、村上春樹氏の『国境の南、太陽の西』という著作が紹介されていた。僕はそれほど村上氏の小説を読んだことが無いのだが、「ひとりっこ」について触れている小説ということ、それから、『国境の南、太陽の西』という作品のタイトルがー何処か霧中の果てない世界と新しい価値観を思わせるその可能性がー魅力的で、読んでみたいという欲求にかられた。文庫本で気軽に読めるということもあって、早速読んでみた(他に、村上氏がアメリカ文学が好きらしいということも影響した。僕も氏が好きだと発言しているアメリカ文学の作家・・・正確にはそうした作家の翻訳文だけれど・・・が大好きなので)

結論からいうと、「ひとりっこ」は当該小説の主要なテーマでは無いと感じた。それよりも大きな人間像を追い求めている印象を受けた。疎外と依存から生まれる人間実存の不安定さに惑った。
「ひとりっこ」は、作品の主要人物を結ぶ導線としての役割など、小説の仕組みとして上手く機能しているとは感じたけれど、それは僕が村上氏の小説に期待していた「ひとりっこ」観とは少しずれていた。でも、考えさせられる所も多いものだった。
1950年初頭生まれの主人公も、僕と同じような「ひとりっこ」故の引け目を感じていたことは共感させられるものがあった。例えば、
『自分はこの世界にあってはいわば特殊な存在なのだ、他の人々が当然のこととして持っているものを、僕は持っていないのだ』(pp.7)
というような感覚は、僕の幼児期から小中学生くらいまで、怨念のような残滓を伴いながら付き従ってきた’それ’でもある。僕はとんでもない田舎の生まれで、周囲に「ひとりっこ」が一人もいなかったので、余計にその思いが強かった(中学生になって、ようやく一人見つけた)何か宿命的な罪業を背負いながら生きているのだというような、切羽詰ったコンプレックスを幼児期から胸にしまい込んできた。
小学生時代、地域のイベントで近所の海水浴場にキャンプに行った時も、海に飛び込んで水をかけあいながら遊ぶ兄弟姉妹を、僕は離れた芝生の方から、ぼんやり眺めていた。芝生と海を隔てるグレーの浜の砂粒ひとつひとつが「お前はこちらに来るな」と言っているようで、怖かった。そんな一人きりの僕を見て、兄弟姉妹を何人も生んだ或る同級生の母親が、兄弟のことで僕の母親をからかったことが、もっと怖かった。「どうして軽々しくそんなことが言えるのだろう?」と。
村上氏の小説には、こうも書かれていて、その点も共感した。
『兄弟がいないと聞いただけで、人々は反射的にこう思うのだ・・・中略・・・人々のそういったステレオタイプな反応は僕を少なからずうんざりさせ、傷つけた』(pp.7-8)
僕もそうだった。「ひとりっこ」ということもそうだったが、同時に、「ひとりっこ」にまつわる様々な否定的な決め付け作業や的外れな指摘に倦怠させられた。

小説には、更に興味深い記述もあった。成長した主人公は、自分と同じく「ひとりっこ」だった同年代の女性と再会し、互いに過去を邂逅する。例えば、こういう会話。
『「どんな気持ちがするものかしら。娘が二人いるって?」「何だか変なものだよ・・・中略・・・都会では一人っ子であることが、むしろ当たり前なんだよ」「私たちはきっと生まれた時代が早すぎたのね」・・・中略・・・「たぶん世界が我々に近づいているんだろう」』(pp.122)
僕は上のような気持ちを抱いたことが無いので、このような考えに少し驚いた。生まれた時代が早すぎただって?世界が自分に近づいている?全く逆だ。僕は寧ろ、自分が「ひとりっこ」であることが、世界から退行する紛れない証明のような気がしていた。
とはいえ、小説の登場人物が「ひとりっこ」について、成長と共にその考え方を変えていったように、僕の「ひとりっこ」感も色々と姿を変えていった。ある時はぐにゃぐにゃした混沌と錯乱の象徴として僕を悩ませたが、今では少し、その姿形も明瞭になっているんじゃないか、と考えている。
そのターニングポイントがいつ来たのか、それはわからない。高校に入学して以降、兄弟姉妹の繋がりが交友関係に濃密な影を落とさなくなったことから、変なしがらみにとらわれず「ひとりっこ」を相対化できる時間が増えたのかもしれない、或いは、大学に入ってみると、クラスメートに何人も「ひとりっこ」の人がいて、「僕だけじゃないんだ。仲間がいるんだ」というように、単純に勇気付けられて考えが前向きになったのかもしれない。いずれにせよ、今の「ひとりっこ」感は、かなりポジティブなものになっている。

というのも、兄弟関係というのは、なかなか後から変えられるようなものではないという背景がある。兄弟姉妹が生まれてしまえば、最早「ひとりっこ」であることは物理的に不可能になってしまう(当たり前のことですが・・・)下の兄弟なら親に「生まないでくれ!」と要求することで「ひとりっこ」を維持できるだろうが、そんな奇妙な発言をする子供も余りいないだろうし、そもそも、上の兄弟というのは自分が生まれた時点から既に「ひとりっこ」を否定する絶対的な要因となっている。
そんな中で「ひとりっこ」である自分を肯定的にとらえようという気持ちになっている。「ひとりっこ」だからこそ出せる価値や個性があるのではないだろうか。「ひとりっこ」らしさで何か意義のある刺激を与えられないだろうか。そういう方向に解釈しなおすようになって、幼児期の罪業が少し浄化されたような気がしている。そもそも過去の言い知れない引け目は、「ひとりっこ」という事実それ自体よりも、「ひとりっこ」に関与する様々な無知の暴力にあったのだから、そこを逆さに評価してみると、思った以上にすっきりした。
だが、先に言う「ひとりっこ」故の価値とは何なのか?そんなものは果たしてあるのだろうか?あるとしたらどういうものなのだろうか?その回答は全く見出せない状況だ。今後も向き合っていかなければならない課題だと思う。

今ふと、大学時代の経験を思い出した。大学構内の食堂で晩御飯を食べていると、後ろに座っていたアジア系の女子留学生(中国の留学生かな?)2人組が何やら議論している。言葉は全然通じないが、環境音楽のような心持で、僕は彼女たちの抑揚の強いイントネーションに耳を傾けていた。暗号のような不思議な語の羅列の中で、聞き慣れたひとつの英単語が鋭く僕の耳をとらえた。それはIdentityという英単語だった。
そうか、日本人でもアイデンティティって言うもんな。自己同一性とか色んな訳語があっても、やっぱり「アイデンティティ」って使うもんな。この女性たちの国の言葉でも、適当な訳語をあてるよりもIdentityの方がしっくりくるんだろうな、言葉って面白いな・・・等とその場では簡単に済ませていたが、しかし、考えてみれば僕のIdentityに「ひとりっこ」が占める割合は相当大きいのだろう、と感じる。良いことも悪いことも含めて。一生僕は「ひとりっこ」と付き合っていくんだろうなあ。でも、だからといって、それは昔のような倦怠を呼ばない。それ以上の遣り甲斐を育んでくれている。何かしら、先の見えない可能性に突き向かうチャンスを与えてくれているような。それこそ『国境の南、太陽の西』といわんばかりに、何処に続くか分からない世界のそのまた向こうの果てに、敢えて足を踏み出せる余地を与えてくれるような・・・

◆ ◆ ◆

【追記】
自分のBLOG内で「ひとりっこ」について直接間接問わず言及している文章や話題を探すと、予想以上に見つかって驚きました。無意識ながらにも、意外と気にして書いてるんだなあ・・・と改めて感じています。われながら興味深い。「ひとりっこ」について、もっと調べてみたいです。