卒業式

「戦後、”自由を履き違えるな”と教師に言われ、私はずっと自分が自由を履き違えているのではないか、と不安に思ってきました・・・」


大江健三郎氏の独特な語り口が、講堂に響く。壁や天井に低く、静かに反響しながら氏の声は振動する。その声に耳を傾けながら、僕は、入学式以来、自分が大学という空間に帰属しながら生きてきたことを意識させられた。異なるのは、その帰属を身に纏うか、脱ぎ捨てるかの違いだけだった。卒業の禊を経て、帰属を’そこ’に置いていこうとするまさにその時、’ここ’から帰属が始まる入学式以上に、僕は<大学>と、<大学>にまつわる数々の記憶に魅せられていた。

ガウンと角ばった学帽を身に付けて壇上にあがる学者たちが醸し出すアカデミズムの趣は、ある種の滑稽ささえもたらしていた。総長は、大学の縦横無尽な知的活動とその柔軟性を主張しながら、それらは会社や官庁といった組織では通用しないと述べていたが、大学内における人間関係とそれに由来する各種の言論的制約、階級関係を見聞している身としては(特に母校などは顕著だ)この上ないナンセンス感を覚える。虚実としての威厳とハリボテの実像とのギャップが空々しくさえある。
一方、大江氏の講演には学ぶところ多かった。彼は著作の中でも、ひとりの思想家なり作家なりを三年かけて追求することの効用を説いている。サルトルならば、サルトルだけを三年勉強する。三年経てば、また別の人間にピントをあわせる。三年で良いのか。「学者ではないのです」大江氏は言う。三年でもとてつもない蓄積になる。このポリシーを、大江氏はずっと守り続けているという。彼の師匠である渡辺一夫氏からの助言であるそうだ。「・・・私は、T.S.エリオットという、15人目を終えたところなのです・・・」そう語る氏に圧倒された。15人目。45年。
また、自由のとらえ方も興味深かった。戦後教育の中で急激に価値観が変わる途上、冒頭に挙げたような教育体験を受けた氏は、ずっと自分の考えている自由がお門違いのものではないかという疑念に苛まれていた。そのような彼に自由とは何か、という問題への道標を与えたのは、丸山真男が指摘する自由の概念、つまり、「拘束の欠如が第一義的に自由である」ということ、それから、もうひとつは、「理性的な自己決定権」という観念であった。
ただ、前者はともかく後者について思うのは、何を以って「理性的」とするかである。「理性」とは何か?大江氏がどのような「理性」を想定されているのかわからないので、僕のこの不勉強な疑問はもしかすると、多くの方々には大変に不遜なものと映るのかもしれないと、少なからず心配になっている。それでも敢えて書かせてもらうならば、あらゆる現代的問題の解決のために各人/各国が「理性的」判断を行っている(と信じている)現在において各種の「理性的」判断は、時に、対立することがある。「理性」が判断した結果、個人や集団の命が奪われることすら、ままある。それはある面から見れば「横暴」「傲慢」かもしれないが、また別の面からみれば「理性的」判断と自己決定の結果であり、自由行動の帰結となる。ともすれば、歴史的な過去の・・・もっと酷い場合には、まだやってきていない未来の誤算を、こうした考えは正当化してしまうことになる。何が理性的なのか?それは現在という視座ではなく、過去という視座からしか確認し得ないものだと僕は思う。それでもなお、Aという理性とそれに基づく自己決定、それからAに対立するものとしてのBという理性と自己決定が頑としてあるのは事実だ。このような現実に直面するとき、僕はただ、自信を無くし、躊躇し、不安でたまらなくなる。
大江氏の言うことは確かにそうなのだけれど、僕は多少の違和感も覚えた。とはいえ、最初に書いた「三年の誓い」は有難い忠告だ。僕も早速、三年間追い求める勉強対象としての目標を探そうと思う。

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卒業式には、両親も来てくれました。夜は新橋の「お多幸」というおでん屋(http://r.gnavi.co.jp/g601000/)でおでんをつつきました。とても美味しかった。家族が少なからず寂しそうにしているのを見、胸が一杯になりました。本当にありがとう。家族のおかげで生きていることを深く痛感させられました。


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