胸がぐん、と高鳴った。
本屋で偶然、鬼海弘雄さんというカメラマン(Googleイメージ検索 http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=DVXB,DVXB:2005-12,DVXB:ja&q=%E9%AC%BC%E6%B5%B7%E5%BC%98%E9%9B%84&sa=N&tab=wi)の作品集を見つけた。白を基調とした装丁のその写真集は特別大きなサイズで目立つわけでもなく、平積みになっているわけでもない。要するに、素通りしてしまっても良いくらいの扱いの本。ただ、それでも手にとってしまったのは、表紙を飾る少女の表情が醸し出すエキゾチックな存在感。写真集は「PERSONA」と言った。(http://shomeido.jp/gallery/contents/exhibitions/exh2005/200501kikai/200501kikai.html

約30年間にわたって浅草に集う市井の人々を撮影し、その肖像を年代ごとに載せているだけの写真集だった。ともすれば、こういう写真集は無味乾燥な表情の羅列に終わってしまいそうなのに、違っていた。どの人物にも日常を奇妙に捩じる倒錯的な魅力があるので驚いた。浅草には何度も行ったことがあるが、通り過ぎる人々が心の中にひた隠しているドラマには気付かず、また、預言者でもないのに気付くことができるか、といった一種の諦観もあわせて、いつしか僕は人間に鈍感になりつつあったが・・・。いろんな人がいるもんだ。人間って奥が深い。楽しい。

僕は写真に詳しくないし、写真集だって滅多に手にとらない。可愛い犬や猫が載っているポストカード集とか、路地裏のスナップ写真集をめくるくらいだった。恥ずかしながら、写真はただの記録媒体としか捉えていなかった。でも、この写真集を見て、ああ、写真は詩だなあ、と思った。作為は幾分感じるにせよ、こうやって詩的に表現できるんだなあ。そういえば、仕事場の同期とご飯を食べた時、何気なくカレーの写真を携帯電話のしょぼくれたカメラで撮ったけれど、その写真を見せた時、同期が「上手く撮るねえ。写真に表情があるから活き活きしてみえる。すごく美味しそうにみえる」と言ってくれたのが嬉しく、また印象に残っている。僕はカレーの記録を残そうとしか思っていなかったけれど、期せずその写真は記録以上のメッセージを訴えてくれていたのかもしれないなあ。

あっ、そうだ。今思い出した。別の場所にいる大先輩が言っていた。「写真はすげーぞー。映像みたいに舐めるんじゃなくて。切り取るからな。存在自体が既に鋭い」

なんだ。前から出会ってたんだ。写真って面白い。胸が高鳴った瞬間。意識し始めた瞬間。もっと沢山いるんだろうな、すごい写真家。詩をよむカメラマン。