まだ本当に幼い頃、傑作「ブラックジャック」を読んで「ボクはお医者さんになるよ」と突然、夕飯の席で発言し、家族を驚愕させた甘い(苦い?)経験を持つ。その後、自分の鼻血を見ては卒倒し、剥離骨折して左手首の骨が皮膚の方にまで浮き出てきた折には「みんな、今までありがとう・・・」等と過剰な走馬灯を呼び込み、たまたま読む機会のあった法医学の司法解剖写真に眩暈をおぼえる自分の情けない姿を目の当たりにするにつけ、これは医者になるどころか医学部によしんば入れたとしても卒業はまず無理であろうと痛感したものだ。
だがそれにも関わらず、「ブラックジャック」は傑作。医学徒への熱っぽい夢を冷まされた今でも尚、心揺さぶる力強さがあるのは、医学部卒の著者自身による詳細な医療描写の説得力のみならず、主人公BJとそれを取り巻く人々の哲学的な生にあるのだろう・・・
などなど、歯医者で順番待ちをしている間、本棚にあった文庫版の「ブラックジャック」を久しぶりに読みながら考えていた。
刀鍛冶の死を通して湯治場で再開したBJと針師の心理的葛藤を描く「湯治場の2人」では、こういう名文句が出てくる。「生き死にはものの常なり 医道はよそにありと知るべし」
その言葉に、BJは「でも、俺には切ることしかない」と呟く。病を癒し命を助けるのは医道の核心だが、それだけで事足れりとして良いのか。果たして医学を志しその只中に身を投じた人間に出来ることは何なのか。手術の尊厳。延命の是非(Dr.キリコの存在)医学界の官僚化。多忙の末、家族へのまなざしが薄れる町医者から僻地医療へ思いめぐらす・・・いまや既存と浸透した問題も含め、改めてさまざまな現実を深く考えさせてくれる。

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そういえば、医学情報のDB研究をしていた先輩が、医学部を再受験・合格し、大学卒業と共にもう一度別の大学の一年生になるという選択で以って、実務の世界に移っていかれた。その思い切りの良い姿を見て、凄いなあ、と思うと同時に、期せず幼い頃の記憶が呼び戻されて、何処か少し、羨ましい気持ちもあった。
身体の・・・つま先のそのまた先端くらいにはまだ、熱が残っていたということか。