つれづれ

クリスマスの喧騒を包み込む電飾が眩い。小さな本屋に身を寄せる。店先に今月号の「東京人」が平積みされていた。
http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html
「おっ」と思って、表紙に意識を集中させる。本を立ち読みしている男性の、後ろ姿の写真。
表紙にはまた、「神田神保町の歩き方」なる文字が躍っていた。気が付けば、貪るように読んでいた。

2008年版と銘打ってはいるけれど、内容的には既視感があった。でも、そんなことは問題ではなかった。
僕は雑誌についてアレコレ言うために読んだのではなく、神田という街を知りたくて読んだに過ぎないから。
しかし一体、「知る」とは何なのだろう?どういう状態を言うのだろう?

例えば僕は、「あんな古本屋が神田にはあるよ」「こんな分野に強い古本屋はあそこですよ」といったように、神田に初めて来た友人の質問に答えてみたり、「神田で美味いカレーが食べられる店に行きましょう」「神田で落ち着いてコーヒーが飲める場所に行きましょう」等と、また別のある人を食事や休憩に誘ってみたりもできる。そして、こういう事情をとらえて、神田に初めて来た知人たちは、「あなたは神田を知っている」と評するかもしれない。
確かに「知っている」んだよなあ、と思う。古書店の強みだったり、グルメ情報だったり。知っているんです。今月号の「東京人」だって、そんな楽しい情報で溢れている。
でも、それとは別の次元で「知る」という概念は生きているんじゃないか、そう思うときがあるのも事実。

「東京人」の立読みからこんな話にまで持っていく背景には、神田の事情や出版社の動きに通じた、とある人とお話させて頂く機会があったとき(詳しく書けずゴメンなさい)自分の「知っている」神田は、何とも上っ面だなあ、この人と自分の「知っている」神田は違うなあ、じゃあ「知っている」とは何なのだろうか、と痛感させられた体験がある。
つまり、「こんな〜がある」というレベルの「知る」は、何らかの原因によって予め作り出された情報を自分で所有した程度の水準に過ぎないのであって、いわば孫悟空がお釈迦さまの掌の上でアイアイ叫んで調子に乗っているような状況に似ているなあ、と感じたのだった。
この、予め作り出された情報を探してきて所有する意味での「知る」は、本当に簡単なもので、持とうと思えば誰でも持てると思う。
要は探し出すのが面倒かどうかだけの問題で、探し出すのが容易で誰でも所有しているもの(所有しなければ生きるのが困難なもの)を「常識」と読んでいるだけなのではないか。例えば「1足す1は2」というのは、この類の「知る」ではないか?
一方で、所有の難しい情報(誰かが作り出していることは間違いないが到達が難しかったり、所有が偶然性に左右されている情報)については、所有することが上に書いた「常識」情報より骨折りなので、畢竟、所有されるべき人数も限定され、ある時は「薀蓄」とか「マニア」とか「サブカル」といった名前で定義されたりする。
でも、こういう情報の持ち方って、「知って」いるといえるんでしょうか?

なんだか僕は、「知る」こと自体に違和感を覚えてしまった。お釈迦様の掌の皺に落ち込んで、ようやく「アレッ?オレって、もしかして誰かの掌の上に乗ってる?」と感じさせられるような居心地の悪さを覚えた。
じゃあ、あなたの考える「知る」とは何ですか、という話になるのだが、今のところ僕は、どうして、そうした情報が創造されなければならなかったのか(そして実際に創造されたのか)を見極めること(敢えて「知る」という言葉は使わない)が「知る」ことなんじゃないかなあ、という仮説を立てている。
何というか、ふよふよ漂って名前のついていないものに定義を与えることが「知る」ことなんじゃないか、という問題意識を抱くようになった。
誰か、若しくは、何らかが既に名前をつけたものを所有することはデータ容量の蓄積を増やすことには繋がっても、「知る」ことには繋がっていないんじゃないかという思いにとらわれてしまっている。
あるいは、こう言えるかもしれない。「知る」ことについて、実は何も知られていない。

実際に「知る」ではないのに「知る」と考えられている(かもしれない)一つの情報が生まれてきた背景を見極めたうえで、その情報に名前をつけること。
更には、この作業を通じて「知る」とは何かが理解できるかもしれないこと。
或いは、僕自身の仮説が大いなる誤解に基づいていて、再出発を余儀なくされるものであるかもしれないこと。

久しぶりの投稿のはずが、つらつら考えながら文章を書いていたら、すごい長文になってしまった・・・

皆様、良いクリスマスをお過ごし下さい。

早いなあ、もう今年も終わってしまいますねえ・・・
自分の頭で考えながら過ごしていかないといけない、腐らないようにしないとアカン、等と思う日々が続きますが、一方で、お世話になっている人に恥ずかしくないような生き方をしていかねばならんなあ、とも思いつつ暮らしています。