【番組について】

MBShttp://www.mbs.jp/)制作によるTV番組『情熱大陸』(http://www.mbs.jp/jounetsu/)にて、内澤旬子さん(http://d.hatena.ne.jp/halohalo7676/)を取材した企画が放送されるという情報を得て、先程(まさに先程!)拝見しました。

番組の冒頭付近のインタで、「記録に残らないものを残す」、という趣旨の発言があり、印象的でした。上記のような言葉は、僕も毎日、大切にしていたいなあ、と心がけている、初心ともいうべきテーマでもあるので、聞いていてハッとさせられ、また、元気付けられる思いがしました。
個人的な感想で申し訳ないのですが、番組全体を通じてのメッセージも、(屠畜の事例も含めて)「記録に残らないものに目を向ける」ことの意義にあったように思います。また、番組それ自体の取材意図や企画・シーンの構成順序、取材手法なども、短い放送時間の中ながらフェアな方向性でシッカリとしていてスゴイなあ、と驚かされました。しかし、それ以上に、取材だからといって必要以上に飾らない内澤さんのニュートラルなスタイルが魅力的で、番組の価値をグーンと高めていたと思います。とても良い番組だったと思い、いま、記録に残しておこうとBLOGを書いています。素晴らしい時間を有難うございました。内澤さんはじめ、番組に関係された皆さま、本当にお疲れ様でした。

一箱古本市について】

また、番組の中で「一箱古本市」のシーンが所々に使われていました。懐かしいです。店主として参加させて頂いた、2005年の第1回目の「一箱古本市」の記憶を呼び戻しながら、大変興味深く拝見しました。*12回目以降からは、個人的な時間上の都合・地理上の都合がつかず、毎回泣く泣く参加を見送る日々が続いていますが、チャンスがあれば、是非ともまた参加してみたいなあ、と思っています。手作り感のある、あったかい雰囲気が印象的でした。イベントに関わっているスタッフの皆さまは大変かとは思いますが、ぜひぜひ、長く続けていって欲しいなあ、と考えています。またご縁があれば宜しくお願いします。更に、このイベントにまつわるシーンの中で、内澤さんが柴犬好きと判明しました。僕も大好きなのです!雑誌「シーバ」(http://www.tg-net.co.jp/nyujo/right-logo/frame/shi-ba.html)も読んでます。思いがけない発見です。

【屠畜について】

小学校時代の通学路、その途中に屠畜を行う工場(?)が建っていました。お昼ごろに帰ったりしていると、工場の中に、豚や牛を積んだ青い中型トラックが入っていくのが見えたり、動物の声が聞こえたりしていたことを覚えています。田舎の屠畜場なので、小規模のものでしたが、僕たち小学生には何か異様な存在というか、怖い場所・・・一種のタブーの世界のような意識がありました。小学校低学年の頃には、その工場を嫌がるクラスメートもおり、その事実が僕の恐怖感を一層強めていたように思います。でも、小学校中学年くらいから(漠然と食物連鎖の持つ仕組みや意味がイメージできるようになりはじめてから)僕たちが持っている恐怖感や嫌悪感というのは、ともすれば非常に恣意的なものなのではないか、と違和感を持つようになっていきました。学校の給食では動物の肉を美味しいと頬張りながら、その頬張る肉と、かつては生命を同じくしていた動物を屠畜する仕事を嫌がるという意識は、ちょっとズレているのではないか?というような・・・。「見たくない」という人間の防衛的なエゴが、命のあるべき循環を途絶させてしまっている印象を受けてしまったのです。
番組の中で、内澤さんが、別のイラストルポライターの描いたイラストを挙げながら、そのライターのイラストでは屠畜が悪意を前提とした筆致で描かれていてショックだったことをお話されているシーンがあり、そのシーンを見た時、子供時代の屠畜に関する記憶や違和感がドバーッと一気に甦ってきました。内澤さんは、また別のシーンで「エモーショナルなイラストは描きたくない」という趣旨の発言をされていましたが、その発言もこのエピソードに関わっているのかなあ、と感じました。加えて、確かに内澤さんのイラストからは、番組における内澤さんの取材スタイルと似た、ニュートラルな感受性が伝わってきて、素直にイラストや文章と向き合ってコミュニケーションすることができるなあ、と、番組を見ながら改めて考えていました。
ともすれば、人は、必ずしもキレイとは言えない事柄とか、見たくない事柄から目を背けようとしがちだけど、実は、そのキレイだといえないこととか、見たくないことというのは、大体、人から聞いたり本で読んだり映画やTVで見たりしたもので、自分でしっかり見た経験が無いことが多いのか、と思いました。自分でしっかり見たこともないのに、モノを語ることはできないのではないか、と。内澤さんが取材で訪れたキューバでは、屠畜の現場を幼い子どもも、ジッと見ていました。確かに、怖そうな眼差しでした。けれど、屠畜を工場の外から眺めて実際を知らないままで、自分勝手に屠畜にネガティブな感情を抱いている、小学生の頃の僕のようなタイプの人間たちよりは、ずっとフェアだったと思います。見ないままで語ろうとすると、どうしても「記録に残っていること」しか語れなくなってしまいます。「記録に残らないものを残す」努力をしようと思えば、タブーから目を背けて気楽に生きている人が通らないシンドイ道を通ることも多くなってくるだろうと思います。そのシンドイ日々を、仕事を通じて見据えている内澤さんの日常を想像しながら、番組を見終わりました。

【おわりに お礼の言葉】

「記録に残らないものを残す」という初心。
見えるものばかりに怒り、わかっていながら目を背けているシタタカな人々に落胆し、24時間の濃度を薄くしつつ生きていた最近の自分に、初心を強く思い出させてくれた、貴重な番組でした。感謝です。ありがとうございました。

*1:当方の「一箱古本市」参加記録については、http://d.hatena.ne.jp/oldbookstore/20060430 等を参照ください