「肝臓がん てやんでぃ」

病魔を吹き飛ばすような威勢の良い掛け声が、毎日新聞夕刊社会面を飾ったのは2005年3月14日のこと。「大工調べ」という見出しタイトルの左下に、優しい笑顔の老人男性が一人、佇んでいる写真があります。その柔和な笑顔からは似つかわしくない切符良い台詞にギャップを感じながら記事を読み始めた瞬間。その日から一週間、僕はこの老人男性、守屋剛棟梁に魅せられてしまうのでした。

「大工調べ」は、3月14日から3月19日まで六回に渡り毎日新聞夕刊面に執筆された企画記事です。*1これが非常に良かった。肝臓がんと白内障のため、命の次に大切な大工道具を手放さなければならなくなった大工の棟梁守屋さん。経済成長と共に、できるかぎり製造数を増やそうと、製造工程の効率化がどんどん図られる中で、守屋さんの仕事は丁寧過ぎると批判する声もありました。しかし、「カンナのタケちゃん」と呼ばれた誇りにかけて、「てやんでぇ」と一喝。職人魂の籠った素晴らしい仕事を続けてきました。そんな守屋さんにとって大工道具を手放すことは大変苦痛でした。守屋さんは神様に訴えます。「酒に加えてカンナまで持ってくなぃ!」
やがて、大工を辞めた守屋さんは61歳の時に、奥さんのアドバイスをきっかけとして、マッサージ師への道を開きます。「マッサージ師なんてどうかしら」奥さんがそう言いながら盲学校への電話のダイヤルをまわす一方で、守屋さんは「いい年こいて、勉強なんかできるかい」とあまり乗り気ではありませんでした。しかし、守屋さんは盲学校で懸命に勉強に励む子どもたちに刺激を受けながら、新しい環境でも「守屋節」を聞かせてくれます。「目が見えねぇチビたちががんばっている・・・(中略)・・・前見て生きてるじゃねえか」
「腕一本の世界。やるなら一度は極めてぇ」守屋さんはそう言いながら授業に取り組みます。そして、盲学校の弁論大会でも、全国優勝を果たします。タイトルは「黒電話」。奥さんが盲学校への入学について、電話で問い合わせた時のことを切符良く語りかけました。「母さん、あのとき背中を押してくれてありがとう」
人の情けに支えられながら、迎えた盲学校の終業式。「春はでぇすきだが、別れはつらい。でもなあ、巣立ちはにぎやかにいきてぇじゃねえか」守屋さんの目は、病をこえて、遥か未来に注がれています。

守屋さんの言葉で他に印象的だったのが、「命は長さでは測れない。どう磨き上げるか」というものです。命をかけて取り組んできた大工という仕事を奪われ、余命宣告を受けても堂々と事実に立ち向かい、新しい道を模索する守屋さん。生きている限り、人間には何かしらやることがある・・・。そんなことを考えさせられました。そして、守屋さんを支える奥さんや娘さん、職人仲間の皆さんの懐の広さにも、心を打たれました。